映画評『モンスターズ・ユニバーシティ』(2013)

ディズニー系の中でも、ピクサー映画が好きだ。

『白雪姫』や『ピノキオ』などのいわゆる「ディズニー・クラシック」は、アカデミックな視点で考察することが多い。原作が近代文学であることもあって、ウォルトがそれをどう再構成したかに重きを置きがちだ。ディズニー映画を語るとき、僕はひとりの“物知り”にすぎないのかもしれない。

対しピクサー作品は、素朴な姿勢で観ることができる。“トイ・ストーリー”、“カーズ”シリーズをはじめとした、スタジオ独自のキャラクター。背景にあるテーマも、誰にでもあてはまる根本的なものが多い。ぐるぐると巡る考えも、観る時期ごとに違ってくる。

 

 今回題材とする作品は、『モンスターズ・ユニバーシティピクサーの名作『モンスターズ・インク』の前日譚だ。サリー中心の前作に対し、本作ではマイクを主人公として二人の大学時代が描かれる。

 

努力のマイク、才能のサリー

 誰よりも努力家だけど、怖がらせ屋としての才能に欠けるマイク。素質は抜群、名門サリバン家の出身だが、それにかまけ努力を怠るサリー。「自分がどちらの側か考える」というのは、この映画を自己投影する場合には必ず通る道だと思う。

 まずは本作の主人公マイク。幼少期、モンスターズ・インクへの遠足のシーンからこの物語は始まる。マイクは友達からも仲間はずれにされがちだった。素質面での不利は大学入学後も続いたが、なんとか猛勉強で挽回を図ろうとしていた。

 ついには学長にも「怖くない」と言われ、それを乗り越えようとし続けてきた。しかし、最後はどうすることもできなかった。猛勉強して多くのパターンを知っているはずなのに、爪で物音を立てながら行う彼の怖がらせはフランク・マッケイ(マイクに帽子をくれた怖がらせ屋)の踏襲をにおわせる。個性を活かした怖がらせを発揮したウーズマ・カッパの他のメンバーと比べて、マイクは型を編み出せなかったとも解釈できる気がする。コーチングで活躍をみせたのはあくまで別方面の活路であって、夢に向かっての成功ではない。

 次にサリー。初講義から完璧な吠え声を見せ、名門の出身として注目される。アーチー(フィアー・テック大学のブタ)捕獲の手柄を横取りできるくらいには、マイクより社会的な力がある。しかしそれにかまけ全く勉強しなかったため、期末試験では彼も落第してしまう。

しかし、努力を身につけたあとのサリーは十分な実力を獲得する。彼は残酷にも、マイクに素質がないことをわかってしまう。うわべでは感覚に身を任せることを教えるが、実際は計器の細工に走らざるをえない。(人間界で子どもに「かわいい」と言われていたことからも、そのままにしていてもマイクが高得点を記録できたとは考えにくい)

 “努力はすればどうにかなるが、才能はなければどうしようもない”という現実の断片が、やわらかくではあるが確実に突きつけられている。あれだけ怖がらせ屋を夢見たマイクも、その夢をストレートに叶えることはできなかった。「夢が望んだ形で叶うとは限らない」というか、SFでの「過去は変えられない」に近い何か。単なるハッピーエンドではない、厳然とした考え方がピクサー作品には通っている気がする。

 

苦労人・ランドール

 サリーとマイクだけでなく、ランドールというキャラクターにも注目しておきたい。マイクのルームメイトとして登場した彼だが、最初は純朴なモンスターであった。試験合格のために勉強一辺倒の道をゆくマイクと比べ、社交の場にもバランス良く出ようとするなどむしろ彼のほうが"健全"な学生といえるかもしれない。サリーの挑発に「関わるなよ」とマイクに助言するシーンを見ても、実はかなりの常識人である。

 けれど、彼の運命はマイクとサリーに振り回される。最初はアーチーを捕獲するシーンだろう。追いかける二人組の手によって、ランドールが焼いてきたカップケーキは台無しにされてしまった。

 しかし彼は追い出されたサリーの空きを埋める形で、名門社交クラブROARへの入会に成功する。やっとエリートコースに乗ることができたわけだ。先輩の命令も忠実にこなし、なかなか上手くいっていたように見える。

 そして象徴的なシーン、怖がらせ大会の決勝戦が訪れる。相手はサリー。準備に入るランドールだったが、サリーの吠え声が響いたことで壁から振り落とされてしまう。これが元で彼は怖がらせに失敗し、得点の上でも大きく差を詰められた。大会後、ジョニーが新しいユニフォームをサリーに与えようとするところをみると、ROARをも追放されてしまったように見える。

この敗北以降、ランドールはサリーを永遠の宿敵として意識する。「いつか必ず借りを返す」と。前作『モンスターズ・インク』を見た観客には、記憶に残るセリフだったかもしれない。

こつこつと積み重ねた努力が、天才に負けて一瞬で水の泡となる瞬間。これはマイクとサリーの対比よりも、ランドールに色濃く表れているのではないだろうか。

 ここで、もう一つ注目しておきたいポイントがある。『モンスターズ・インク』で、彼はサリーの同僚として“登場に至る”ということだ。察するに正規ルートで怖がらせ屋として就職したのだろう。(これはウーズマ・カッパのメンバーたちにも言える。彼らはマイクやサリーほど尖ってはいなかったが、逆にそれが幸いしおそらく正規で怖がらせ屋となれている。なお、前作に出てきたわけではない。)

そして、その後の彼は…?そんな視点を持って前作を観てみると、ランドールの印象も変わってくる気がする。

 

おわりに

定番の青春ものならそのままのハッピーエンドで済ませるようなところに、この作品は鋭く切り込んでいる。判断役としては、学長とジョニーが適当だろう。

サリーなのか、マイクなのか、ランドールなのか。単純に分けられることではないが、属する集団に応じてどの要素も出るものだと思う。新たな環境が始まるか、始まらないかというこの時節。「自らはどうありたいか」そして「どうあるのか」そんなことを考える一端となりそうだ。